どうして世の中にはこんなに格差があるの?人間ってばかなの?

書評

ヤニス・バルファキス著「父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話」より。本書の冒頭で、著者の娘が著者に投げかけた言葉。

経済という概念は、人間が農耕により農作物を作り、自分たちが食べきれる以上の「余剰」が発生したことで生まれた。農耕は、食べ物が周りに豊富にあれば必要ない。人間が増えて、食べ物が無くなったから、必然的に農耕が生まれた。そして余剰が生まれた。この余剰が、文字、債務、通貨、国家、官僚制、軍隊、宗教、テクノロジー、戦争を生み出した。このつながりを一連のストーリーとして語ることで、タイトルの質問に正確に答えることができる。

例えばイギリスがオーストラリアを植民地にできたのは、イギリス人がオーストラリア人よりも優れていたから、というのでは説明不足だ。イギリスには十分な食料が無かったから農耕が生まれ、経済が発達した。より経済活動を発達させるためには、オーストラリアを植民地にする必要があった。一方、オーストラリアには十分食料があり、農耕の必要がなかったので、経済活動は生まれなかった。こうして、経済概念がないオーストラリア先住民は、経済の発達したイギリス人に搾取されていった。イギリスが侵略しなければ、オーストラリアの先住民は、今でも自然と共存しながら生活していたかもしれない。本当に豊かなのはどっちだろう。

細菌やウイルスも経済と関係している。昔は余剰した大量の穀物が積み上げられた倉庫は街中にあり、人や動物に囲まれていた。衛生管理が発達していない時代には、人や動物を通して細菌やウイルスが繁殖し、種から種へ感染していった。

先日アマゾン先住民ヤノマニ族の少年が、新型コロナ感染で死亡したというニュースを観た。この先住民は外の世界から隔離され、ウイルスへの抵抗力がとても低いのだとキャスターが話していた。先住民の住む土地は食べ物が豊富にあり、農耕が発達しなかったので、ウイルスが繁殖する環境もなかったのだろう。ヤノマニ族の人たちにとっては、いい迷惑だ。実はオーストラリアがイギリスに侵略されたときも、侵略者から殺される先住民より、侵略者が持ち込んだウイルスに感染して死ぬ先住民の方が多かったそうだ。アメリカを侵略した際には、毛布に天然痘ウイルスを刷り込んでアメリカ先住民にプレゼントし、その地域を根絶やしにしたこともあったそうだ。

テレビを観てたら、世界各国の麺料理を食べよう、という番組をやっていた。旅人が中国、欧州を訪問後、アフリカを訪問したところ、アフリカで麺料理を見つけることができなかった。麺は小麦粉や米粉などの穀物の粉から作る。古くから農耕技術が発達した地域では、穀物を使った麺料理が自然と発達したのかもしれない。本書によれば、ユーラシア大陸は東西に広がっているから、東西に移動しても気候差が小さく、農耕技術を広げやすかった;アフリカ大陸は南北に広がっているから、南北に移動すると気候差が大きく、共通の農耕技術を他の地域に広げるのが難しかった。ということらしい。

経済とは本来、人間がより安心して生きていくために余剰を生み出したことから発展した。この余剰をより沢山持ちたい、という人間の際限ない欲求が、世の中の格差を生み出した。この欲求がもっと小さければ、世の中の格差も小さく収まったのかもしれない。じゃあみんなで協力して、質素な生活に変えていきましょう、と言われても、それぐらいでは人間の欲求を制限することはできないだろう。

今回のコロナ感染対策で、多くの人は、遊びたい、美味しいものを食べに行きたい、ショッピングしたい、旅行したい、働いてお金を稼ぎたいという、様々な経済活動に紐づく欲求を強制的に制限されている。ウイルスを抑え込むことは、人間の欲求を抑え込むことと同義だ。

だからウイルス感染対策は難しい。